結城宗広旧跡清掃整備を実施しました(にぎわい委員会)
案内文(看板)
南北朝時代、南朝方の武将であった結城宗広(1266~1339)は戦いに敗北しつつも再び勝利を期して、延元3年(1338)、大湊から奥州へ向けて船出しますが、途中暴風雨に遭い、伊勢に吹き戻されて病死しました。流布本『太平記』では宗広は安濃津(津市)に漂着し、この地で没したとありますが、宗広夫人の書状(国重要文化財 光明寺所有)から推測すると、吹上で没したと考えられ、吹上から移転した光明寺(岩渕三丁目)には、宗広の供養塔(市有形文化財)が現存します。当地は地元で宗広の旧跡と伝わる場所で、数基の石造物が確認できます。刻銘や形態から、いずれも宗広より後世のものと認められますが、天文六年(1537)銘の五輪塔は市内でも古いものです。 平成二八年三月 伊勢市教育委員会